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ベトナム&カンボジア 旅日記


7月14日【到着】   7月15日【市内1日観光】   7月16日【クチトンネル】   7月17日【ホーチミン最終日】

7月18日【アンコールワット】   7月19日【周辺遺跡巡り】   7月20日【自由行動】


【エピローグ】
 

 2001年7月16日(月) 【クチトンネル】 ホーチミン

 朝食
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 今日は、クチトンネルツアーへ。
 朝、8時半にシンカフェ前に集合した。
 シンカフェでは、メコン川ツアーや、市内観光などのツアーも行われているので
 各国からの旅行者が大勢バスを待っている。

 バスに乗り込み、クチへと向かった。
 クチトンネルの入場料は別料金で5USjかかる。
 ガイドさんは、クチトンネルに着くまでの2時間ずっとしゃべり続けていた。

 1965年から1975年のベトナム戦争の時代。

 ホーチミンから北西に70km行った所にあるクチは
 「南ベトナム解放戦線(ベトコン)」の拠点となっていた。

 ベトナム人の兵士は、トンネルを掘り、地下に潜って戦いを続けた。
 トンネルの総距離は250kmにも及び、3層構造になっている。

 ここには、トンネルだけでなく、様々な罠が残されている。
 下の落とし穴は、実際は板が置かれ枯れ草で覆われていたそうだ。
 そして人がそこを通ると、上に載せてあった板が回転して人が落ちるという仕掛け。
 下に刺さっている竹には毒が塗られていたそうだ。
   

 落とし穴
      そして、これがクチトンネル。
 こんなに小さな穴の中に人が入って行く。
   クチトンネル
             私達も、下のトンネルの中へ入って行く。
    体をかがめてなんとか進める広さしかなかった。
  わき道があちこちにあり、前の人とはぐれてしまったら、迷い込んでしまいそうで不安。
 一応、電気はあるが、かなり暗い。
 それにしても、戦争中こんな所にずっといたなんて
 ベトナム人パワーのすごさを見せつけられた感じ。

 戦争中に食べられていたタロイモを食べさせてもらった。
 甘味の薄いさつまいもの様な味がした。
 そばに置いてあった、ピーナッツを付けるとすごくおいしかった。

 ここには射撃場もあり、銃を撃つことができる。
 私は、ツアーの他の人達が撃つのを眺めていた。

 お昼過ぎにクチを出て、ホーチミンへと帰って行った。
 午後2時半ぐらいに、ホーチミンへ到着。

 ずっと行きたかった、デザート屋さん「キム・タン」へ向かう。

 おいしい牛乳とそれを使ったデザートがある所として有名なお店。
 ベトナム風プリン「フラン」とレモンジュースを注文した。
 あまり甘すぎずとてもおいしかった。
     プリン
      なぜなのか、ベトナムのカフェは椅子が入り口側を向いている。
 みんな道路の方を見ながら座ることになる。外側から見ると、なんとも変な感じ。

 帰りに、国営百貨店にもう1度行き、コーヒー1キロを購入。
 100グラム、8千ドン(100ドン≒1円)だった。
 ベトナムはコーヒーが有名。独特の香りがしてとてもおいしい。
 レストランで「アイスコーヒー」を注文すると、アルミのフィルターが
 コップの上に乗っけられて出てくる。
 そして、コンデンスミルクがたっぷり入っていて、かなり甘い。

 ホテルへ戻ると、弟が到着していた。
 3人で夕食を食べにデタム通りに向かった。

 この日は、暑い中クチで半日歩き回ったのでとても疲れていた。
 食欲もあまりなくて何を食べようかと思いあぐねていたが・・・
 そう、ここベトナムには食欲のないこんな時にもってこいのフォーがあった。
 ベトナムにフォーがあってよかったよかった。ホッ。

 夜には、日本語学校の見学に1人で向かった。

 日本語学校の住所を片手に、タクシーに乗ろうとホテルから出た
 ブイ・ビエン通りできょろきょろとしていると、1人のお兄さんに声をかけられた。
 ここに行きたいと住所を見せて、「連れて行ってくれ」と頼んだ。
 すると、そのお兄さんは「すぐそこだから、付いて来い。」と英語で答えた。
 えっ??ほんとに歩いて行けるの?あ、あやしい・・

 でも、まあとりあえず、人通りも多い所なので、大丈夫だろうと思って後について行った。
 少し歩いたところで、お兄さんは1件の建物を指差した。
 なんだか、あまりに小さい建物で、しかもそこは閉まっていた。

 え?これが日本語学校なの?

 看板を見てみる。
 住所は私の行きたかった日本語学校のものと似ていたが
 何か別のお店のようだった。

 そのお兄さんは、「このお店は、もう閉まっている。」
 「このお店は朝10時からだから明日また来ればいい」と言う。
 どうやらここは日本語学校じゃないみたいだった。

 もう次のタクシー運転手さんを見つけるのもめんどくさかったので
 「私はこの日本語学校に行きたい。ここは違うと思う。」と必死に訴えた。

 お兄さんは何やらわかったような顔をして、また私に付いて来いと言った。
 元来た道を、不安に駆られながら歩いていると
 そのお兄さんは、彼の友達らしき人に声をかけて、何やらベトナム語で話している。
 ちょっと、ちょっと何話してるの??

 ・・・と思っていると、その友達が、日本語で
 「今から、こいつがここに電話して場所を聞いてくれるから。」
 と教えてくれた。
 そして、そのお兄さんは、日本語学校に電話をかけてくれた。
 場所がわかったようで、タクシーに乗れと言われた。

 そして、しばらく走ると学校らしき建物に到着した。
 ここまで連れてきてもらったが、私はかなりこのお兄さんをかなり疑っていた。

 そして、恐る恐る「いくらですか?」と聞いた。
 するとそのお兄さんは、「お金はいらない。」と言う。
 そして「帰りはどうやって帰るの?」と聞いてきた。
 道順もわかったしホテルからそんなに遠くないので「帰りは歩いて帰る」
 と答えると、私の持っている荷物を指差して
 「危ないからしっかり抱えて帰るんだよ。それから、シクロには絶対乗っちゃだめだよ。」
 と教えてくれた。

 なんていい人なの(T-T)
 これまで、色んなところで、ぼったくりにあっていただけに、ほんとに感激した。
 そのお兄さんは、タイさんと言う人だった。
 タイさんありがとう。

 ふうぅぅ〜。これでやっとたどり着いたと思った・・・

 しかし、確かに門には日本語学校の名前が書かれてあったが
 何やら教えてもらった事務所らしき建物がない。

 受付らしきところににお姉さんがいたので
 英語で「この学校に勤めている○○先生に会いたい。」と言った。
 すると、地図のようなものを書き始めた。
 え??ここは、学校じゃないの??
 そして、地図を指差しながら、ベトナム語で何か話している。
 ちょっと、ちょっとわかんないよ。

 すると、近くにいた日本語学校の生徒さんらしき人が、英語で話し掛けてくれた。
 「ここは日本語学校なの?」と聞くと、どうやらそれは間違いないらしい。
 そして、どうやら私の会いたかった日本人の先生は、もう1つの校舎にいるらしい。
 場所を教えてもらって、もう1つの校舎へ歩いて向かう。

 地元の人達しかいない市場を抜けて行く。
 ファングーラオ通りとは違って、観光客なんて全くいない。

 道順は聞いたが、どの辺の建物なのか、全然わからない。
 市場のおばさんに、住所の書かれた紙を見せて「ここ、ここ」と指差した。
 すると、あそこだと指を差して教えてくれた。
 唯一知っていたベトナム語で「カムオン(ありがとう)」と言って
 足早に学校へと向かった。

 事務所に向かって、○○先生に会いたいというと
 そこの日本語学校の先生らしき人が「わかりました。付いて来て下さい。」
 と日本語で答えてくれた。
 その先生は、24歳のベトナム人女性の先生だった。
 とても上手な日本語で話しをしてくれた。

 ほんとにここまで長い道のりだった。やっと授業の見学へ。
 生徒さんは、みんな20代位で、8人ほどの少人数のクラスだった。
 教科書は『新日本語の基礎T』(日本語初級者向けのスタンダードな教科書)を
 使用している初級クラス。

 「〜てから、〜ました。」の構文を勉強していた。
 授業が終わった後に、校舎内を見学。20近くのクラスで授業が行われいた。
 廊下からのぞくと、40人近くいるクラスや漢字を使用して授業を行っているクラスなど様々。
 そして、この学校は、夜間に授業が行われているので、学生、社会人、様々な人達が日本語を勉強していた。
 中には、10歳位の男の子もいた。母親と一緒にここに通っているそうだ。

 帰りは、先生にバイクでホテルまで送ってもらった。
 途中、市場でドリアンが売られているのを見つけた。
 この季節が一番おいしいという先生のすすめで、チャレンジしてみることにした。
 1個8千ドンで買った。
 ホテルまでの帰り道に、近くのホテルのベトナム人に声をかけられ
 「いくらで買ったの?」と言われた。「8千ドンだった。」と答えると
 「それは安いね。」とほめられた。
 やっぱり、ベトナム語ができれば、ぼったくられることもないのね。
 ホテルに戻って、入り口にいた従業員さんに頼んでナイフでドリアンを切ってもらった。
 初めて食べるドリアン。確かに、匂いは独特だが、それほどまずくはなかった。
 チーズのような、なんとも濃厚な味がした。

 しばらくホテルのロビーで、昨日1日バイクで観光に連れて行ってくれた
 日本語のわかるおじさんと話しをしていた。

 その人が使っているのも『新日本語の基礎T』だった。
 それは勉強し終えたと言っていたが、まだまだ言ってることはよくわからない。
 ただ、私が言うことはわかっているようだったが・・・実はわかってなかったのかも。
 それが、後日、わかることになるとは、この時は全く思いもしなかった。。。

 さらに、日本から送ってもらったという、厚い文法の教科書も見せてくれた。
 このテキストは、すごく面白い。日本語の口語表現が満載だった。
 こういう言い方するするって感じのものが、たくさん載っている。
 「〜しちゃう」とか、「〜っぽい」とか。
 おじさんは、日本語は「文法、むじゅかちぃ。」と言っていた。

 ロビーには、昨日バイクに乗せてくれたもう1人のおじさんもいたので
 「今日は何してたの?」と聞いた。彼は日本語は話せない。
 「ツアーガイドの学校に行っていた。」と答えた。
 「どういうこと勉強してるの?」と聞くと
 「HISTORY, CULTURE, LOVE…」と答えた。ははは・・・。

 そんなこんなで3日目終了。今日はなんともながい1日だった。







1日目【到着】   2日目【市内1日観光】   3日目【クチトンネル】   4日目【ホーチミン最終日】

5日目【アンコールワット】   6日目【周辺遺跡巡り】   7日目【自由行動】


【エピローグ】