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ベトナム&カンボジア 旅日記


7月14日【到着】   7月15日【市内1日観光】   7月16日【クチトンネル】   7月17日【ホーチミン最終日】

7月18日【アンコールワット】   7月19日【周辺遺跡巡り】   7月20日【自由行動】


【エピローグ】
 

 2001年7月20日(木) 【自由行動】 SIEM REAP

 
   今日は3人それぞれ好きな場所を巡ることにした。
 弟は、ワニ園とトンレサップ湖へ。

 私は、「一之瀬泰三」のお墓に行こうと思っていた。
 一之瀬泰三のことは、映画 『地雷を踏んだらさようなら』を見て知った。

 従軍カメラマンだった一之瀬泰三は、1973年ベトナム戦争の真っ只中
 アンコールワットを撮影するため、ゲリラの支配地域下にあったカンボジアへ渡った。
 彼はその直後消息不明となり、8年後に死亡が確認された。

 今日もまたラン君とその仲間達に連れていってもらうことにした。

 すぐに、お墓に行ってもらおうと思っていたら
 ラン君が「バンテアイ・スレイ」に行こうとしきりに勧めてきた。

 バンテアイ・スレイは、アンコールワットのある中心地から
 バイクで1時間30分ほどかかるとガイドブックにのっていた。
 さすがに、そんなに遠くまでいくのは気が引けたので、遠慮した。

 すると、ラン君が「お墓はバンテアイ・スレイからすぐ近くだ。」と言う。
 えっ!?お墓は、そんなに遠いんだ。それなら仕方ない。
 お墓には、行ってみたかったので、ついでにバンテアイ・スレイも見に行くことにした。

 まず、バイクでバンテアイ・スレイへ。
 バンテアイ・スレイへの道のりには、のどかな田舎の風景が広がっていた。
 道路を、水牛を連れた子供が歩いている。
 そして、左右には広大な水田が一面に広がっている。

 そして、30〜40分たった位だろうか。
 「TAIZO」と書かれた看板を見つけた。ここがお墓の場所のようだ。
 「お墓からバンテアイ・スレイはすぐ近くだ。」と言ってたから
 「もうすぐなんだ、思ったよりも早く着きそうだ。」なと思った。
 ところが、バイクは、止まるどころか、それからさらに30〜40分走り続け
 やっとバンテアイ・スレイに到着した。

 さっき見た看板は、気のせいだったのか、それともあそこはお墓じゃなくて
 別の何かがある場所だったのかな。

 バンテアイ・スレイは10世紀に建てられたヒンドゥー教の寺院。
 そのレリーフの細かさや美しさが、アンコール遺跡群の中でも群を抜いていることで
 有名な場所。   
 バンテアイ・スレイ
   中に一歩入ると、これまで見てきたどのレリーフよりも繊細で
 とてもきれいだった。
 アンコールワット周辺の遺跡のレリーフは、長い年月を経て
 風化されてしまったようになっている。
 けれど、ここのレリーフは、彫りが深く、くっきりとした形で残っている。
 「東洋のモナリザ」と呼ばれる、女神像(デヴァータ)がとても美しかった。

   
 レリーフと女神像
      バンテアイ・スレイを堪能し、次こそはお墓へ行こうと思った。
 するとラン君が、「ここからすぐの所に滝がある。すごくきれいだから見に行こう。」と言う。

 しかし、この時点で、私はかなりこのラン君を疑っていた。
 「もう言いなりにはならないぞ。」と強く心に決め
 「滝には行かない。お墓へ行く。」と答えた。
 するとラン君は、「どうして行かないの?すごくきれいなのに。」と言う。
 結局、私は、もう1人のバイタクの運転手のビリー君とお墓へ。
 友達はラン君と滝ヘ向かうこととなった。




 でも、お墓はどこにあるんだろう?
 ここから近い所にあるのか、それともまさかさっきの場所。。
 とまあ、色々考えていると、元来た道を30〜40分走って
 さっきの看板があった細い小道に入っていった。

 やっぱり、全然あの遺跡から近くなかった。
 それとも、カンボジア人にとってこれは近い距離なのか?
 ラン君は、あなどれないと確信した。

 細い道をさらに奥へ奥へと進んでいく。
 そして、広い平地にポツンと「一之瀬泰三」のお墓があった。
   
 お墓
    すると、そのお墓の管理者らしきおばさんが来て、日本語で書かれたノートを見せてくれた。
 そこには、ここを訪れた日本人のメッセージがたくさん記されていた。
 表紙の裏側には、このお墓を作ることを進めた人のメッセージが書かれていて
 「このお墓を守ってくれているこのおばさんに、少しでいいので寄付をお願いします。。」
 とかなんとか書かれていた。

 すると、そのおばさんは、「1USjを払ってくれ」と言ってきた。
 けど、運の悪いことに、私は1USj札を持っていなかった。
 持っているのは10USj札以上。あとは、1000リエルほど。(1USj=2600リエル)
 10USj出して、おつりを9USjくれっていうのもなぁ。。
 寄付なのにそんなこと言えるのかなぁ。もらえなかったら嫌だし。
 だからと言って、10USj払うのは。。

 などなど、色々考えて、「1000リエルしか持っていない。」と見せた。
 ビリー君に、英語で「お金がない。」と伝えて、そのおばさんに伝えてもらった。
 おばさんは、あきれたような、困ったような顔をして
 何やらビリー君と言い合っていたが・・
 それじゃしょうがないという話しになったみたいで、そのまま帰ってきた。
 1USj札持ってたら払ってたけど、さすがに10USjはね。

 次に、もう1度、アンコールワットを見に行くことにした。
 その途中、日本人の一人旅をしているという人に声をかけられた。
 バンテアイ・スレイまで行ったと話すと、「何ドルかかったの?」と聞かれた。
 どうやら、あそこの遺跡は遠いので、ガイド料の相場が15USjだそうだ。
 シェムリアップ中心部を1日周るだけなら、1日10USjだから
 余分に5USjかかるみたいだった。

 そっか、それでラン君は、「バンテアイ・スレイに行こう」としきりに
 勧めたんだ。あんなに温和で穏やかなそうな顔をしてるのに。
 やっぱり あ、あなどれない。。。

 そして、その後、滝に行った友達に聞いた所
 滝は、バンテアイ・スレイからさらに30分くらいかかり
 ここはもっと遠いからと言って、さらに5USj取られそうになったみたい。

 最後のアンコールワット。
 これで見納めだと思うと、もう1度色々な所を見たいと思い
 第一回廊をぐるっと1周した。カメラで写真もたくさん撮った。
 ちょうと12時過ぎだったので、お昼休憩の時間のため
 上まで登ることができなかった。

 アンコールワット近くのレストランで食事をして、ホテルへ戻ることにした。
 お昼を食べたレストランは、昨日のレストランと違って
 物売りの子供が店内まで入っては来なかった。

 ホテルに戻って、シャワーを浴び、午後4時にホテルを出発しようとした。

 すると、このホテルのタイ人のおばさんは、私達のチェックアウトは
 翌日だと思ってたみたいで、「空港までの車はあるの?」とか
 「リコンファームはしたの?」とか心配してくれた。

 リコンファームは、頼めばホテルの人がやってくれるものと思ってたので、最初にラン君に頼んだ。
 すると、「その場所まで連れてくから、自分達でやってくれ。」と言われたので、
 自分達でリコンファームを済ませていた。

 そして、その時やっと、ラン君は、このホテルの人達と全然関係ないんだってことに気づいた。
 こんなことなら、あの親切なタイ人のおばさんにもっと頼ればよかった。。

 ラン君達にバイクで空港まで送ってもらい、シェムリアップを後にした。

 その時はまだ、その後に起こる大ハプニングを全く予想していなかった。





続く・・・




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